設立者

レンフォード・リース, Ph.D

1989年バンダービルト大学で政治学の学士号を取得。公共政策の修士号を1990年同大学大学院で修めた。スイス、ジュネーブにある国連社会開発調査研究所で民族紛争およびグループ間の関係について博士号研究を行い、1996年、南カリフォルニア大学で行政学の博士号を修めた。カラフルフラッグス・プログラムの設立者/ディレクター。カリフォルニア州立工科大学ポモナ校で政治学を教えている。

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背景

1991年3月、アフリカ系アメリカ人のティーンエイジャー、ラターシャ・ハーリンズさんは、ロサンジェルスのサウスセントラルにある韓国系アメリカ人が経営するコンビニエンス・ストアに入った。程なく、韓国系アメリカ人の店主は、彼女がオレンジジュースを万引きしようとしたと思い、2人は激しい口論となった。2人は、オレンジジュースのボトルをつかみながら言い争った。その後、ハーリンズさんは店を去ろうとしたが、彼女が店を出る前に、その店主が彼女の後頭部を撃ち、死なせてしまった。

この悲劇は何カ月も教授の心に重くのしかかった。悲劇になる前に、こういった状況を防ぐ方法があるはず。。。このコミュニティの人々同様、教授は、ハーリンズさんの死が、サウスセントラル地区の韓国系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人の間にある人種間の高まる緊張の結果おこった最悪の事態であると信じた。彼の決意は、ある事件がきっかけでさらに強固なものとなった:次の夏、アフリカ系アメリカ人ロドニー・キング氏を殴打した4人の警察官が無罪放免になり、サウスセントラルが暴動に巻き込まれたのだ。その際、破壊された店の多くは、韓国系アメリカ人が所有する店だった。

教授は、南カリフォルニア大学で行政学の博士課程を始めたばかりだった。彼は、都会のコミュニティに住む多様なグループにある緊張を取り除く方法を見つけるため、自分の研究を活用しようと誓った。1993年5月、博士課程の2年目、彼は南カリフォルニア大学リーダシップ・インスティテュートのプレジデンシャル・フェローに選ばれた。この機関はワレン・ベニスによって創設され、ジェームズ・オトゥール、バート・ネイナスがディレクターを務めていた。この3人が教授の恩師である。

このプレジデンシャル・フェローシップ・プログラムでは、当大学の17の大学院、専門学校から選抜された学生たちを、リーダーシップトレーニングの集中プログラムに参加させる。課題の1つとして、学生たちは各人、コミュニティに根ざしたプログラムを考えだし、指導しなければならない。「カラフルフラッグス・ヒューマン・リレーションズ・モジュール」は、われわれの社会、特にロサンジェルスの人種関係の状況に対して抱えていた教授の不満から生まれたものである。

学校で文化の懸け橋を作る:カラフルフラッグズ・モデル.

カラフルフラッグズ

プログラムに関する記事(新聞等掲載)

Pasadena Inland Valley, (98年2月)
USC Chronicle, (94年5月) City News Pomona, (98年3月)
San Gabriel Valley Tribune, (96年3月) The Pensacola News, (98年4月)
Los Angeles Times, (96年5月) The Poly Post, (98年1月)
Los Angeles Daily News, (96年9月) Walnut Highlander, (99年1月)